リバタリアニズムは有事において空想の産物となる
リバタリアニズムは有事において空想の産物となる
リバタリアンが理想とする世界は政府の役割をできるだけ小さくすることである。そして市場の働きを最大化し、人々の自由を保障することである。リベラルと違って、幸福な世界を実現するためには、政府ができるだけ何もしないことが望ましいというのだ。
しかし、ほとんどのリバタリアンは制約された国家を正当なものとして認めている。ただし必要悪として認めているに過ぎないという立場を取ってはいるが。
リバタリアニズムは戦後出て来た思想である。
リバタリアニズムはいま世界戦争がある時代に初めて直面した。
今全世界でウイルス対人間の全面戦争の真っ最中だ。政府による強制がない世界で感染症と戦うことは不可能だ。
戦時中においてリバタリアニズムは成立しない。政府は強権を発動し、国民に不自由を強いる必要に迫られるのだ。
100年に一度の大災害の事態においてリバタリアニズムは平和な時代においてのみ語ることのできる思想だと証明されてしまった。
リバタリアンは自己所有権だけは国家によって守られなければならないとする。自己所有権とは自分の体を好きなように使う権利だ。
今制限されている権利は
外を出歩く権利
集会する権利
密封されたところに行く権利
まさに自分の身体を好きに扱う権利が制限されている。
これはリバタリアニズムからすると許し難い事態なはずである。
しかし、世界的に有名なIT起業家でトランプの熱烈な支持者(つまりリバタリアン)のピーターティールはロックダウンを支持している。
自由至上主義者であるリバタリアンが自ら喜んで自由を手放している。それはなぜか。
市場の役割を最大限にするためには政府が強権を発動しなるべく早くウイルスを押さえ込むのがベストだと知っているからだ。
リバタリアンは一時的に自由を手放した。
市場をいち早く機能させ、経済活動を復活させるためにだ。
我々は新型コロナウイルス時代において、「一貫して一貫しないことが大切」だと学んだ。
新しい情報が出るたびに掌返しをするのが正しい戦略であるともう知っている。
自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門
資本主義と自由
これからの正義の話をしよう