医大生 の blog

医学部のこと。読んだ本について書きます。

頭の偏差値と顔面偏差値を交換できるならどうする?

叔母が、わたしが大学に入学する直前の頃に「普通の女の子なんてファッションのことしか考えていない」と言っていたのを5年経った今でも時々思い出す。

 

叔母はちゃんと勉強して希望の大学に入ったひとだ。母方は医者家系なんだけれど、偏差値至上主義が基本概念として全員に刷り込まれている。ファッションのことを考えているとバカになる、という趣旨だったからこんなにも檻に触れ思い出すのだと思う。わたしは当時も今も「賢くいたい、バカだと思われてはいけない」と強く思っている。そうではなくては自分は価値のない人間なんじゃないかと思えて仕方なかったからだ。

 

それ以来、服のことを考えていると叔母の言葉がふと浮かんでくる。バカになるのか。バカなのか。バカだから服のことしか考えられないのか。20代の女の子の頭の中なんて服とコスメと恋愛ぐらいしか詰まっていないなんていうと顰蹙を買うかもしれないけれど、実際当たらずとも遠からずだろう。


同じサークルの可愛い友達が「今が一番いい時期なんだから今お金かけなくてどうする」と言っていて衝撃を受けた。可愛い子ってそういうことを考えるのか。

学科の同期女子と大学に入りたての頃に、頭の偏差値を顔の偏差値に置換してくれるならみたいな話をした。友人は絶対に交換すると迷わず答えた。わたしはそんなのいやだと言ったけれど今でもそう思うだろうか?

 

大学の5年間を経て顔の可愛い女の子がどれほど美味しい思いをしているか、ちやほやされるのってすごく気持ちいいだろうとか、服が似合うだろうなとか知らなかったことをたくさん知った。「女」を武器に戦う人間をかっこいいと思うようになった。

可愛いと召喚魔法が使える。偏差値75の顔面があれば金持ちと結婚するルートがある。紗栄子がのうのうと息してるのが見えなかったのか。

あのときは偏差値落ちたら稼げないからいやだと思っていた。「1人で稼いで生きていく、誰の指図も受けない自分のお金が欲しい」が私が医者を選んだ一番の理由だった。この偏差値がなくなるのは惜しいと思っていた。

 

でも、自慢に聞こえたら申し訳ないが、昔から小難しいことを考えるのが好きでワクワクするたちだった。もし偏差値がグッと落ちたら、分厚くて面白いノンフィクション本を読んで、世界って広いすげーって自室から空間が無限に広がるような気持ちになったりできないのかなと思ったりする。医学の話を聞いて複雑性の解像度が落ちるのはつまらんなと思う。mRNAワクチンの脂質ナノ分子すげーとか思えなくなるのは悲しいなと思う。