医大生 の blog

医学部のこと。読んだ本について書きます。

高学歴医学部生なのに塾講師バイトで賢いガキにボロクソ言われてつらかった話

集団塾のバイトを始めた理由


就職するまでに人前で喋る仕事をしたかった
子どもが好きだった(今は特に好きではない、ガキはガキ)
家庭教師の仕事が退屈すぎて耐えられなかった。わたしの悲しい気質として楽しくないことに一ミリでも時間を使いたくなくて耐えられなくなるというのがある。自分が納得できる仕事内容だと思ったら時間かけてコミットすることになっても気にならない。

メリット


他のバイトよりも給料はいいところ。楽しさがしんどさを超える瞬間あること。うまく説明できて子どもとのレスポンスがうまくいったときはめちゃくちゃ気持ちいい。
人前で喋るときあまり緊張しなくなったように思う。いやでも人前に立つ回数を増やすと場慣れする。

 

デメリット


時給は高いものの、予習に時間を取られるので実質の時給は明らかに千円をきってる。時給のことを考えると悲しい気持ちになるのであまり考えないようにしている。責任の重い仕事なので、楽したい人はあんまり選ばないほうがいい気がする。

 

辛かったこと

 

こんなことを書くと嫌味だと思われるかもしれないが、私はこれまでずっと勉強ができる人という立ち位置だった。算数の塾講師なんて正直ちょちょいのちょいだと思っていた。サクッと予習して賢い子供と楽しく勉強できると思っていた。これが大間違いだったのだ。
教壇の前に立つとびっくりするほどうまく教えられていない自分に気づく。正確に言うと気づけるようになっただけでも少し進歩している。ほんとの初めは自分が上手く教えられていないことに全く気づかない。自分が問題を解けるからと言って、教壇でうまく教えられるとは限らない。
今思うと当たり前のことだけど、「自分は賢い」という謎のおごりでうまくいかない目の前の現実が受け入れられなかった。いい高校、いい大学、に入った人のあるあるかもしれない。自分が仕事ができないという事実が受け入れ難いのだ。高校時代の友人はなんでもよくできる子なのだが、飲食バイトをしてみて気が利かずうまく動けない自分が悲しかったと言っていた。

現在わたしは授業を二つ持っている。一つはわたしがひとりで教える授業。もう一つの授業はサブとして授業に入って上に先生がつくという仕組みになっている。その上司がすごく冷静な人で、フィードバックを正直にしてくれる。忖度一切なしで、ズバズバ斬ってくださる。

ある日、わたしの授業がびっくりするくらいうまくいかなかった。生徒に主導権を握られ、自分の言いたいことが言えなかった。賢い子にはテンポが悪いと呆れられ、わからない子はわからないまま放置されるというボロボロの内容だった。
塾の方針としてわかっている子にはどんどん喋ってもらい、子どもからのレスポンスをもらいながら授業を進めるという方向だ。わたしはそういう授業をしたかった。しかしわたしは気づいていなかった。このコールアンドレスポンス方式は全て悪い方向に転がった時に、地獄の授業崩壊が起こる。

わかる子を退屈させわからない子をわからないままにさせてしまった。
授業後上司は、それだと授業をする意味がないからいてもいなくてもいいよね、とぐっさり刺してくる。その日は丁寧なフィードバックを大量にもらったものの、ショックすぎて整理しきれないまま家に帰った。2020年落ち込んだ大賞があれば間違いなくあの日が受賞する。

 

いい本に出会う


あまりに落ち込んで「塾講師に向いていないんだ、わたしはそこまで賢くなかった」と絶望した。
本でも読んで気持ちを変えようと思い立ち、そのときに出会った「マインドセット「やればできる!」の研究」という本がすごく役に立っている。

 ザ自己啓発本というくさいタイトルの本で一見好みではないかなと思っていたがすごく良い本だった。
この本は「能力は生まれつき決まったもので努力しても伸びない」と思っている人と比べて、「努力次第で伸ばすことができる」と思っている人の方が能力の伸び幅が大きいということについて書いた本だ。

わたしはもともと遺伝に興味を持って遺伝について書いた本をたくさん読んでいた。それらの本には、知能指数は50%〜70%くらいは生まれつき決まっているとあった。
塾講師をしていても、飲み込みがいい子と悪い子がいるのはいやでもわかる。でも、自分は頭が悪いからできなくてもしょうがないと思いながら勉強するのは悲しすぎる。昨日より今日ちょっとでも賢くなるにはどうしたらいいのかと考えた方が絶対に楽しい。

教師としても同じことが言えるだろう。「教えるのに向いていない」と思いながら授業するよりも「今はできなくても努力次第でうまく教えられるようになるし、次回もっとよくなるためにはどうしたらいいだろう」と考えながらした方が楽しい。できなかったことができるようになるのは何歳になっても楽しい。せっかく真剣に取り組むなら、楽しく成長できる方がいいだろう。

 

傷つきやすい人にはしんどい仕事


わたしは上のクラス(偏差値の高いクラス)で復習のカリキュラムを教えている。一番上のクラスの子どもはめちゃくちゃ生意気で辛辣である。最近は少なくなったが初めの頃は「もうそこわかってるからいいって」「まだやるん」などの言葉をかけられた。下手な自分が悪いことは百も承知なので余計に悲しい。心にグサグサ突き刺さった。普通に生きてたらこんなに傷つくこと言われることないだろうな、と思いながら毎週傷ついて帰っていた。

他の非常勤の先生にその話をすると、落ち込んだ経験はあまりないと言われた。新しく教え始めた先生というのは一様に教えるのが下手なので、子どもたちから非難の声が上がったり、黒板から前を向くと誰も聞いていなかったりするのは絶対に経験するはずだ。他の新米の先生を見ていてもわたしと同じようにテンポが遅かったりすることが多い。

それに対して傷つくかどうかというのは本人の気質によるところが大きいようだ。ある先生には「わからないあいつらが悪い」としか思わないと言われ、あまりのメンタルの強さにちょっと笑ってしまった。


うまくなるためにやってたこと

傷つくのも嫌だし、生徒にとって意味のない授業をするのも嫌だったので早くうまくなろうと努力した。

  • 予習が終わったら模擬授業を行う。

一通りどういう風に伝えるかを決めたら、iPadとアップルペンシルで黒板に向かっている想定をしながら、誰もいない部屋で喋り続けた。早口になってしまわないようにするいい訓練ができたと思う。上司から早口にならないように、と何度も注意されたのでどうしても直したかった。今は言われなくなったので多少は改善されたのだと思う。

 

  • アドバイスや反省点をメモする。

受けたアドバイスを全てメモして、次につなげられるようにした。メモしたからと言って改善されることはないけれど、今も見直してああここまだ治ってないから次回は注意しよう、などど意識することができる。

 

うまくいかないときは思い切ってやり方を変えてみる。

わたしの塾では対話型の授業が望ましいとされているので、生徒と会話しながら授業をするようにしていた。「この問題はまずどこに注目?」→「差に注目!」という風に。うまくいくとわかっている子の話からわかっていない子にエッセンスを伝えられる素晴らしい仕組みだ。
しかしこれを慣れていない人がすると、大事故が起こる。会話を挟むと処理する情報が増える。生徒から想定外の質問が出た時にうまく捌けないので授業が止まったりする。わたしは対話型の授業に憧れていたが、いったんトップダウン形式に戻すことにした。わたしから生徒に一方的に伝える形式の授業にするとすごくやりやすくなった。

その際、以下の点に気をつけるようにした。
・早口にならない
・前を向いて授業をする
・綺麗な板書
この三つくらいに絞られるのだ。
これができるようになったので、対話型の授業に戻し始めている。教壇に立ちはじめてから半年くらいたってやっとまともに授業ができるようになったと感じられる。長かった。しんどかった。キツかった。


医学部との両立


キャパオーバーかもしれないと思うことは何度かあった。CBT(医学部共通の大きなテスト)の前は週に二コマもいれた自分を本気で憎んだ。1ヶ月間、朝から夜まで勉強して寝る前の1、2時間はバイトの予習をするという生活を続けると、気が狂いそうになる。

 

就職してしまったらこの仕事ができなくなるのかと思うと寂しい。わたしは集団塾のバイトを始めて良かったと思っているし、これからも両立が可能な限り続けていくつもりだ。