医大生 の blog

医学部のこと。読んだ本について書きます。

意識高い系医学部生と出会った

はじめて出会った。意識高い系の医学生に。あまり身近にいなかったから関わったことがなかっただけで、存在は知っていた。 後輩男子に学生団体のイベントで使うから「生きる意味」をA4一枚に手書きで書いて送ってくれと言われた。あなたの生きる意味、コロナ禍において考えたこと、コロナ後に頑張りたいこと、の三つをA4に手書きで(強調したい)書くという趣旨らしい。

生きる意味ってなんやねんと思いつつ、見てみると例と書いてあるその子の「生きる意味」がA4一枚で語られている。少し脚色して書くが、生きる意味のところに新しい救い方ができる救急医になりたいと書いてあった。この時点で共感性羞恥がすごい。だがまだまだ恥ずかしさは続く。コロナ禍で考えたことの欄には、「医療、救急への注目が大きくなっている中、救えなかった命が数多く出てしまったことへのもどかしさ、将来、新しい救い方を創出できる救急医として、医療、救急を引っ張っていくという自覚と決意」などと書かれている。目が滑るほど、かっこいいけどありきたりというか当たり前、一周回って何も新しいことを言っていない文章が並ぶ。もうはずうてはずうてこの文章を書きながら目をそらしています。

コロナ後の毎日で頑張りたいことのところでは 「夢に向かって努力と思考をし続ける 常に最新の情報をアップデートする 学生の間から医療的価値を出す」 などと書かれており、もう…いっそ殺してくれ……というくらいの恥ずかしさに襲われる。

極め付け最後には 「この企画で集まった若者千人の生きる意味をテキストマイニングで処理し、若者の声として発表します」とある。テキストマイニングいいいい言いたいだけやろおおおお。じゃあはじめっからテキストデータで送ってもらえよおおおおお。マイニングせずに済むよおおおおお。 意味もなく難しいことやってます感出すのはやめてくれ…。すみません。もう精神が持ちません。まだ続く。

あなたの生きる意味に、著名人から応援メッセージが届くかも!とある。生きる意味を応援されんの底辺っぽくてなんかうけるなとちょっと笑えた。 著名人に応援されなくても立派に息してるのでわたしは遠慮させてもろても。

世間に意識高い系の学生が存在するのは知っている。医学部には意識高い系がほとんどいないのだ。一般的な意識高い系といえば、海外とか人脈とかがイメージされる。それが就職につながったりするのかもしれない。しかし、医学部性は意識を高くもって人脈を作りTwitterのフォロワーを増やしても、行き着く先は一兵卒の雇われ勤務医だ。地味である。将来的に辿る道はほぼ同じなので、必要以上に自分を大きく見せる必要があまりない。経済学部の人たちが〇〇社の有名な〇〇さんと会った、というとおーすっげえとなるかもしれない。しかし医学部には共通認識としての「おーすっげえ」となるトピックがないのだ。

医学部の日常は思っているよりも暇で地味だ。そこに学生団体の活動などがあると自分がメインストリートで動いているかのような気持ちになれて少なくとも何かしてるという安心感があるのだろう。 しかしわたしにはどうしてもごっこ遊びに見えてしまう。

何か言っているようで中身のない言葉。救急についていろいろ調べているはずなのに、あまりにもメタ認知ができていないところ。字面はかっこいいがとにかく具体性がないところ。偏見かもしれないが意識の高い人たちに共通してそうな恥ずかしさだ。

先ほどから恥ずかしい恥ずかしいとは言っているが、こんなにも恥ずかしく感じるのはおそらく自分の中にも同じベクトルの恥ずかしさがあるからだろう。黒歴史が服着て目の前にいるのだ。恥ずかしくないわけがない。

晒したくはないけれど、わたしの恥ずかしさを晒しておく。 わたしはその時々にエバーノートにメモを残しているので、恥ずかしい言葉にいつでもアクセスできる。えっへん。

一年半前のメモにこんなのがある。

私の中の磨けば光る得意なこと - プレゼンテーション - 人の心を掴むこと - 本を読むこと

これは恥ずい。ツッコミどころが1秒で500くらいは思い浮かぶ。中身のなさ。カッコよさげな字面。具体性のなさ。意識の高さを兼ね備えている。

他にも、プログラミングの勉強をしていた時期に

それぞれが何かを紹介し合うアプリ 紹介されたい人と紹介したい人をマッチングするアプリ

などといろいろ書いてある。ちなみにアプリを作ったことも、作り始めたことさえない。ホリエモンがようゆうてるけど、「アイデア自体に価値はない」のだ。こういうふわっとしたことを考えて言葉にだけして何かしたような気になっていたのだ。恥ずかしい。

若者なら多くが通る道かもしれない。みんなちょっとくらいは意識の高い言動をした記憶があると思う。その恥ずかしさが目の前にいて、恥ずかしいことをしろと頼んでくる。もう生きる意味をA4のルーズリーフに書ける時期は終わったのだ。

自分が何者にもなれないかもしれないという不安がそうさせていたのだと今なら思える。そのときはそのときでいっぱいいっぱいなのだ。(地味そうに見える)普通の医者になんかなるもんか。医者以外の専門性を身につけてやる。だとかいろいろ考えてしまうのだ。

今ちょうどその中にいる後輩くんは楽しんだらいいと思う。意識の高い自分は案外かっこよくて楽しい。 でもいつか、自分を大きく見せなくても死んだりしないと気づく日がくるんだな。