医大生 の blog

医学部のこと。読んだ本について書きます。

塾講師バイトで「先生なのにそんなんじゃだめじゃん」と言われた

塾講師バイトでクラスを受けもってから3ヶ月。生徒にそんなんじゃだめじゃんと言われる。

先日バイトでわたしが間違ったことを言ってしまい、生徒がそれを指摘したことがあった。ゆっくり聞いて生徒が何を言っているのか理解すれば良かった。なのにわたしは焦りに焦って何を言われているのか全くわからなくなってしまった。世紀のあせりんぼとして有名なわたしも流石にびっくり。その間5分。生き地獄である。その生徒が「先生なのにそんなんじゃだめじゃん…」とぼそっと呟いていたのが忘れられない。だよねぇ、わたしも思うよ。その日はめちゃくちゃ落ちこんだ。家帰って布団かぶってワンワン泣きたいくらいだった。

授業後のフィードバックで塾の上司に生徒の前では「賢い先生」でいるべきだと言われた。詰まる原因は予習が不十分なのでは、と言われる。その通りなのだが自分的には予習に時間を割いているつもりだったので悲しい気持ちになる。しかもこれが1回目ではない。上司は重ねて、人は信頼できると思った人の話しか聞かないよと。確かにそうだと思った。しかし今までずっと信頼できそうな人間をやったことがないので、信頼できそうってどんな人なのか根本からわからない。

信頼できなそうな危なっかしそうな雰囲気はずっとわたしを助けてくれていた。課題が終わってないだとか実験でやらかしたとか、試験勉強がほんとに間に合わないとか困ったことが起きると、困った雰囲気を出しておく。すると優しい友人が助けてくれたりする。そしてそういうやつにはめんどくさそうな仕事はあまり回ってこないのである。

周りに甘えるためにはやらかしそうな雰囲気を纏うのは不可欠の術だ。しかしこれは学生までの話だ。バイトであれど、社会人として外に出ると危なっかしそうなやつ、すなわち信頼できなさそうなやつという評価を下されるのだと初めて気づいた。危なっかしそうな雰囲気をまとうデメリットが大きすぎる。ちょっとミスったとしても、どっしり構えて自信があるふうを装った方がメリットがでかそうなのだ。どんなに無能でも有能のふりをする。愛嬌と要領じゃなんとかならないことがあるなんて知らなかった。

確かに生徒からしてみると、教える内容が分からなくなる先生なんて必要ない。えーっとあれーなどと言われるとこいつ大丈夫か、こいつのいうこと信頼できねえなとなるに決まっている。だからこれからは予習を重ねて生徒からの信頼を失わないようにすべきだというのはわかった。しかし、一瞬わからなくなることや生徒からの予想外の質問に何を言っているのかわからなくなることはこれからもあるだろう。そんなときに信頼できる先生の仮面をつけていられるのだろうか?

先生と呼ばれる職業は、教師、医者、弁護士などがある。これらの職業に共通する点は供給側と受け手に知識格差が存在することだろう。知識のなさそうな先生などお呼びじゃないのだ。密度の濃い予習をして、算数の知識ストックを増やしていけばこういうことは減るだろうけど、こんな人の教えることが信頼できるかということだ。

社会人として「やばい、どうしよう、助けて」では生きていけない、ということを教訓にできるいい機会だったと思うことにする。