医大生 の blog

医学部のこと。読んだ本について書きます。

同性カップルは本当に「生産性」がないのか?

同性カップルは生産性がないから、政策でカバーする必要は無い。
少し前になるが、上記のような発言が大炎上していた。

某自民党女性議員がツイッターでつぶやいたらしい。

社会の発展に役に立たない、として切り捨てることが政府に許されるのか、
こんなアホが議員をしている日本は終わっている、

とかは、他の人に任せて、私はあえて彼女の土台にのって考えてみたいと思う。
同性カップルは
彼女は、同性カップルは子どもを産むことができないという点で、「生産性がない」とした。

「子どもを産むことができない」⇒「生産性がない」

は本当に成り立つのか?
という観点で考えてみたい。


ハチやアリで考える

人権問題の話をしているときになんだと思われるかもしれないが、まず「人間も動物であるということ」を認識してもらいたい。
人間以外の動物にも子どもを産まないプログラムが施されている動物がいる。
アリとハチである
この動物には子どもを産まないことが決定づけられている種がいるのだ。
「働きバチ」というやつだ。 彼らに種としての繁殖つまり「生産性」的な合理性があるのか?という問いには容易に答えられる。
合理的なのだ。 生産的であるというのは、「自らが子どもを産む」ことだけではないのである。 「兄弟や他人が産んだ子どもを育てること」も生産的なのだ。

人間とハチ。
どちらとも社会的な動物である。
しかし、たどってきた進化の過程は全く違う。 この二つの種が、「子どもを産まない個体が存在すること」を「生産的」であるとしているのだ。

さらに、同性愛の個体というのは人間以外の種にも多く見られる。

「同性カップル」が「生産的でない」というのは、全くもっておかしな話なのだ。

同性カップルは養子をとらなければならないのか?

だから、種としての繁栄のために同性カップルは子どもを育てなければならないのか、というとそうではない。
あくまでも議論として、進化の過程から見て、他の人の子どもを育てることができるという点で合理的なんだよ、ということだ。

そんなことを言ったら、子どものいない異性同士のカップルも全て養子をとらなければいけないということになる。

まさかそんなことは、ないだろう。
同性カップルも、異性同士のカップルも、カップルを作らない人も、みんな同じように日本で税金を払っている以上は政府の制度を利用する権利がある。

この世には「みんな一緒じゃないとダメ」教を信じている人が大勢いる

議員の彼女もそのうちのひとりだろう。マイノリティの権利は抑えられても平気で、夫婦は全員同姓を名乗るべきだ、という宗教。
ひとりひとりに個性があり、それぞれが違う生き方を選択することが許せない人たち。

もしかしたら、彼らに何を言っても無駄なのかもしれない。

いつも思い出す一節がある

同性愛の人に対する議論が出るたびにいつも思い出す漫画の場面がある。
川原泉の漫画で、確か中学生の頃に読んだのだろうか。兄が恋人として男の人を紹介したときに、妹に驚かなかったのかと問う。
そのとき妹はこういうのだ。

「だってそんなの紅茶が好きかコーヒーが好きかってことでしょ。」

この問題をそんなに軽々しく扱うなと思われる方もいるかもしれない。しかし、私はいろんな問題がこの言葉に集約されるように思われるのだ。
紅茶が好きかコーヒーが好きか、人それぞれだ。
人はそれぞれ好きなものは違うしそれを侵す権利は誰にもない。

紅茶好きがマジョリティを占める世界で、コーヒー党が弾圧されるのはおかしい。

それぞれが好きなものを好きだと言える世界が来ること願っている。