医大生 の blog

医学部のこと。読んだ本について書きます。

今年のふりかえりと事前検死と実際の比較。事前検死とは、プロジェクトが大失敗に終わったと仮定してその理由を網羅して事前に対策を考える方法のこと。決定力に書いてあった。

 

事前検屍

5年次の過ごし方が全く思う通りにならなかった。
その理由は?

*実習が想像以上にしんどくて、余暇に遊んだり本を読む気力がない

→実習後に部屋に帰ってきた後の時間を有効活用するのは難しかった。特に眠かったり前日お酒を飲んでいたりするとほぼ何もできない。図書館に行くと活動できる。英語の発声系のトレーニングは自宅じゃないと無理。ここは次年度改善余地あり。

*バイトで時間がない

→週2回だったものの予習が少なく楽。バイトに時間を取られた印象はあまりない。移動の時間も英語音源を聴けた。ある程度自分で稼いで使い道を考えたり節約するのが楽しかった。

*部活で時間がない

→部活していない。後悔もしていない。特にテニスをしたいと思うこともない。根っからのインドア人間だと気づいた。

*SNS依存

→ツイッター、インスタグラムにハマることはなかった。YouTubeはめちゃくちゃ見てるけど、YouTubeを禁止すると潤いがない。

*実習を有意義だと思えなかった

→割と楽しかった。責任もなく見学だけできるの最高。先生の話も面白かった。

*おもしろそうな臨床科が見つからなかった

→内科系が特に面白かった。免疫、内分泌代謝、神経内科などを検討中。

*バイトの日に早抜けすることだけに気をとられた

→図太さ、立ち回り力、交渉力が鍛えられた。交渉を億劫と思わない。

*実習班の人とうまくやれなかった

→苦手な人、気の合わない人はいた。自分の人間的な未熟さを実感した。

*チームワークで他の人の仕事を一人でやってキレるルーティンをやっちゃった

→やってない。働いていない。うまく分担してできた。

*実習先の先生に嫌われた

→好かれた。

*限られた余暇に全力で予定を入れずにダラダラ過ごした

→余った時間は英語の勉強に全振りした。そもそも出かけていない。

*睡眠がしっかり取れないまま毎日を過ごした

→一旦睡眠時間が短くなると、解消できないまま睡眠不足の日が続くことがあった。要改善。

*翌朝早いのに飲み会をして生活リズムが乱れた

→あまり飲み会に行っていない。飲んだ次の日はしんどい。8時以降にあまり飲まないようにしたい。Oに呼ばれる飲み会に警戒。


思うようにいかなかったところ

*ジャニーズにハマって時間が溶けた
→生活が潤うし、前みたいなどハマりをしなくなったのでこのままでいいのでは?YouTubeの時間だけ制限したい。

*本が読めなかった
→プライオリティを英語につけたから。ある程度は仕方ないが、余った時間を本にもっとさきたかった。

*外に出す文章を書けなかった
→内省はしてるけれど、それを外に発信する気力も時間もなかった。

*就活のことを考え始めるのが遅かった
→自分のこの先について考える時間は予定として確保したほうがいいかもしれない。

*考える時間がとれなかった
→考えたことだけでもメモを取って、後でまとめて考える時間を取ってもいいかもしれない。

よかったところ

*英語の勉強を継続できた
→習慣として根付いてくれた。反復練習を重ねるうちに上達するのが楽しかった。この金銭感覚が働き始めてどう変わるのか。

*金銭の収支があっていた
→節約(ケチ)生活が性に合っていた。爆買いをしてしまったところもあった。

*友達とご飯する楽しさがわかった
→友達と会うのが純粋に楽しいと思えた。何か有意義なことに時間を使わねばという強迫観念が薄れてきている

*勉強以外を時間の無駄だと思わなくなった

 

まとめ

 

今後改善したいのは、考える時間をとりたい、文章を書く時間が欲しい、大事なことを決めるために時間を割く、しんどい時になんとか動く方策を考える。

 

 

 

 

 

 

頭の偏差値と顔面偏差値を交換できるならどうする?

叔母が、わたしが大学に入学する直前の頃に「普通の女の子なんてファッションのことしか考えていない」と言っていたのを5年経った今でも時々思い出す。

 

叔母はちゃんと勉強して希望の大学に入ったひとだ。母方は医者家系なんだけれど、偏差値至上主義が基本概念として全員に刷り込まれている。ファッションのことを考えているとバカになる、という趣旨だったからこんなにも檻に触れ思い出すのだと思う。わたしは当時も今も「賢くいたい、バカだと思われてはいけない」と強く思っている。そうではなくては自分は価値のない人間なんじゃないかと思えて仕方なかったからだ。

 

それ以来、服のことを考えていると叔母の言葉がふと浮かんでくる。バカになるのか。バカなのか。バカだから服のことしか考えられないのか。20代の女の子の頭の中なんて服とコスメと恋愛ぐらいしか詰まっていないなんていうと顰蹙を買うかもしれないけれど、実際当たらずとも遠からずだろう。


同じサークルの可愛い友達が「今が一番いい時期なんだから今お金かけなくてどうする」と言っていて衝撃を受けた。可愛い子ってそういうことを考えるのか。

学科の同期女子と大学に入りたての頃に、頭の偏差値を顔の偏差値に置換してくれるならみたいな話をした。友人は絶対に交換すると迷わず答えた。わたしはそんなのいやだと言ったけれど今でもそう思うだろうか?

 

大学の5年間を経て顔の可愛い女の子がどれほど美味しい思いをしているか、ちやほやされるのってすごく気持ちいいだろうとか、服が似合うだろうなとか知らなかったことをたくさん知った。「女」を武器に戦う人間をかっこいいと思うようになった。

可愛いと召喚魔法が使える。偏差値75の顔面があれば金持ちと結婚するルートがある。紗栄子がのうのうと息してるのが見えなかったのか。

あのときは偏差値落ちたら稼げないからいやだと思っていた。「1人で稼いで生きていく、誰の指図も受けない自分のお金が欲しい」が私が医者を選んだ一番の理由だった。この偏差値がなくなるのは惜しいと思っていた。

 

でも、自慢に聞こえたら申し訳ないが、昔から小難しいことを考えるのが好きでワクワクするたちだった。もし偏差値がグッと落ちたら、分厚くて面白いノンフィクション本を読んで、世界って広いすげーって自室から空間が無限に広がるような気持ちになったりできないのかなと思ったりする。医学の話を聞いて複雑性の解像度が落ちるのはつまらんなと思う。mRNAワクチンの脂質ナノ分子すげーとか思えなくなるのは悲しいなと思う。

病院実習でわたし倫理委員会に反する言動をした友人

わたしは人より倫理アラートがしっかり備え付けられた個体らしい。
先日病院で病理解剖の切り出しという作業を見学した。病理解剖とは病院で亡くなった患者さんで死因がはっきりしないor究明したいことがある場合に行われる。切り出しとはご遺体の臓器を輪切りにして写真を撮ってデータを保存する作業だ。同時に病理標本用の切片も作られる。

許せないことがあった。3人で見学していたのだが、一人がわたしに小声というには大きい声で「なんかネギ切ってるみたいじゃない」と耳打ちしたのだ。普段なら、また別の場面なら冗談を言い合える気のおけない友人だった。

そのあともわたしがご遺体の臓器を手にとって触らせてもらっているときに「どれくらいの硬さ?牛タンと比べると?」と。

許せなかった。すべて聞こえないふりをしてすませてしまった自分が本当に許せなかった。思っていたことぜんぶ言えばよかった。

「この臓器はこの間亡くなった人のもので誰かの大切なおばあちゃんかもしれないんだよ。もし自分のおばあちゃんの解剖だったら、学生が臓器を食べ物に例えていて許せるの?そしてそれ本当に面白いと思っていってる?暇だからって真面目に仕事してる先生の横でそういうこと言うの恥ずかしくないの?」

今あの場面に戻っても言えないだろうなと思う。もしここでガチ説教かましたらうざいやつだと思われる。わたしは小学校の頃からうざがられるのが本当に怖くてこういうときに何も言えない。この場さえ流せば後は元通りになる。

ほんとは多分もし言ったらその日一日はまともに喋れなくなるだろうなと予想できていて、だからめんどくさかったのかもしれない。一日一緒にいなくちゃいけない人と気まずい空気で過ごすのが面倒だったのかもしれない。

でも振り返ってこの場所で吐き出すくらいには嫌だったし忘れられなかった。

あの日教えてくれた病理の女の先生は本当にかっこよかった。愛想はない。今まで出会ったどの人よりもなかった。でも嫌がられたくないから、微妙な空気になりたくないから、本当に思っていることを伝えないような臆病者じゃなかった。

 

他人の靴を履いてみることができない人たち

うちの弟は発達障害もちだ。中学生の頃、アスペルガー症候群の診断が降りている。

彼は大学に適応できず1年ほど前より引きこもっている。それは別に問題の主座ではなく、わたしが目下頭を悩ませているのは、両親が彼との関係に苦しんでいることだ。

父親と彼は随分前から没交渉状態であるため、母親が主に彼からの要求や会話で消耗させられている。

現在の要求は、食事がまずい、種類が少ないなどがメインのコースである。その他サブメニューとして俺が料理しやすいようにダイニングテーブルを片付けろ、などらしい。といってもわたしも一人暮らしをしており母親づてに聞いた話である。

少し前まで弟はメンタルの調子が悪く、食欲もなかったので食事に文句をいう余裕がなかったようだ。ここにきて元気が出てきたのはいいのだが、母親にあまりに酷な注文をつけるのだ。母はなんとか応えようと新しい料理を作ったりしているの。

母(55)はフルタイムの仕事をしている。その上平日の家事をすべて担っている。行き帰り含めて11時間仕事に拘束されているのに、平日に手の込んだ新作料理を作るのなんて土台無理な話なのだ。
わたしは一人暮らしをして家事というものがどんなに負担かはじめて知った。おそらく弟は全くわからないだろう。

さらに朝っぱらから母の料理の品評会をするという。ここが美味しくない、ここが不味いと詰られる。どうやら味覚過敏があり想定していた味と異なるのがきついらしい。

さらに彼は自分で朝から料理をするためテーブルの上に邪魔なものがあるとすべて床にぶちまけるらしい。

わたしは母に聞いた、なぜ彼はそんな人が傷つくようなことを平気でできるのかと。母(本人もアスペルガーの特性を持つ医師でASDに詳しい)はわたしにもわかるように説明してくれた。彼は傷つけようとして言っている訳でも、まさか母が傷ついているとも思っていないのだと。

相手を傷つけようと言葉を選べる人間は自分の行動で相手がどう思うか想像できる人間であると。それができないのがアスペルガーの特性なのだと。

プレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で、息子氏が試験で「エンパシー」とはどういうものかを問われた際「誰かの靴を履いてみること」と答えたと読んだ。

アスペルガーの人は他者の靴を履けない人たちだ。他者の靴なんてものがあることにさえ気づかない。自分からのビジョンが他人には見えており、少し説明すれば自分が考えていることをすべてわかってくれると思っている。

彼が机の上にあるものを床にぶちまけるのは、ちょっと考えれば自分が朝料理をするときに邪魔であるとわかるのに予め退けておかないお前らが悪い。という風になる。

今までよくやってこれたものだと思う。だいぶ無理をして中学高校に適応しようとしていたのだろう。

昔、めちゃくちゃ機嫌の悪い母親に話しかけてよく怒られていたのを覚えている。観察すれば機嫌が悪いのがわかるのになぜわざわざ怒られに行くのか、と不思議だったものだ。顔色を伺えない特性なんだと思うと今やっと納得できる。

なんてハードモードなんだろう。他の人は相手がどう考えているか想像したり、感情を読み取ったりできるのに彼にその機能はついていない。

生まれたときから難易度鬼のゲームやってれば、人間関係問題起こりまくりでメンタルだって崩すよなぁ。なんでそんなハードな人間用意したんだ神様、そりゃないよと言ってやりたい。

でもそれでも、わたしは憎いのかもしれない。わたしの弟が。他人の靴を履けないあいつが。

彼には傷つけるつもりがなくても、傷ついている母がいる。父がいる。そして愛してくれている両親がいる。なぜなぜなぜ。

母には母の人生を生きてほしいのだ。弟の一挙手一投足に緊張して注意を払って削られて欲しくない。わたしのヒーローでいてほしいのに。

 

そして今日も母の愚痴を聞く。

 

 

ヒトはなぜ人生の3分の1も眠るのか? 3月読んだ本

「睡眠医学の父」と呼べる偉大な研究者、ウィリアム・C・デメントによって2000年に書かれ全米でベストセラーになった一冊だ。少し古いが今読んでも新鮮な内容だった。

 

デメント氏は睡眠研究を立ち上げたクライトマンに師事し、クライトマンと共に「レム睡眠」の発見にも関わった研究者である。さらに彼は閉塞性睡眠時無呼吸症候群の診断基準となるAHIの提唱者でもある。

 

睡眠医学はスタンフォード大学で非常に有名である。スタンフォードの睡眠〜から始まる本がたくさんあることからも伺える。Drデメントはスタンフォード大学に睡眠センターを作った人物でもある。私がこの本を知ったのは、日本人の睡眠研究者として有名な河合真先生がご紹介しておられたからだ。河合先生がスタンフォードで研究がしたい、と米国へ行ったのはこの本がきっかけだったそうだ。

 

1960〜70年代、睡眠と覚醒について基本的な事柄が解明された時代、デメント氏はまさにその場所にいた人物だ。人間の体内時計が1日25時間だという話を聞いたことがあるだろうか。これは初期の測定で発見されたが、実は正しい値ではないものが流布している。人工的な光に晒される環境では体内時計が遅れるため25時間程度になる。

 

しかし真っ暗な環境で実験すると24時間10分くらいになると発見したのがツァイスラーだ。デメントは概日リズムの専門家であるツァイスラーによく相談していた。彼のこの実験により、光が体内時計の調整において大きな役割を果たしていると発見された。光といっても、25時間の測定結果が得られた実験で使用されていたのはデスクランプだ。この程度の弱い光でも十分に体内時計を遅らせる。

 

 

この本は2000年に米国で発売された。現在2021年、当然この時から睡眠研究も進んでいる。私も睡眠研究をしているわけではないので最前線のトピックに詳しくはない。2018年に出たマシューウォーカー著「睡眠こそ最強の解決策である(Why we sleep)」と比べて、この20年で新しく発見されたことに注目すると面白かったので紹介する。

 

 先ほど、デメントはレム睡眠の発見に関わったと書いたが、2000年当時はレム睡眠の役割についてまだはっきりしたことはわかっていなかった。現在レム睡眠は「起きている間の出来事を整理して脳に留めておく」一連の流れに携わっていると考えられている。アルコールとレム睡眠の関係が発見されたものここ20年の話だ。アルコールはレム睡眠を妨害し、記憶の定着を妨げる。アルコール依存症患者の離脱症状で問題となる幻覚は、起きているのにもかかわらず夢を見ている状態だと言われている。脳が削られたレム睡眠を取り戻そうとしているためだ。

 

 

反対に、2000年の時点で発見されていることがいまだに世間一般には知られていない、ということもかなりあるように思った。

 

閉塞性睡眠時無呼吸症候群が代表的だ。閉塞性睡眠時無呼吸症候群とは、睡眠時に喉の筋肉が気道に落ち込むことで呼吸ができず、睡眠の質量ともに著しく低下する疾患だ。

 

医学部に入学するまで「閉塞性睡眠時無呼吸症候群」なんて知らなかった。医学部に入学してもまだ、自分の父親が睡眠時無呼吸だなんて気付きもしなかった。やたらと日中寝てるなぁ、旅行に行くといびきがうるさいなぁ、寝てる途中にいびきが止まることがあるなぁなど。それ全部!睡眠時無呼吸の典型的な症状だ!と今なら言える。しかし身近な人に症状があっても、年がら年中イビキをかいているわけでまさか「病気」だなんて思いもよらない。
身をもって知った睡眠時無呼吸症候群の恐ろしいところだ。

 

著者のウィリアムCデメント先生は睡眠時無呼吸症候群の治療と研究に努めた人物である。「睡眠時無呼吸」の客観的な指標となる「無呼吸低換気指標(AHI)」を提唱した。これは1時間に無呼吸および低呼吸状態におちいる平均の回数を示した指標である。日本呼吸器学会によるとAHI5〜15が軽症、15〜30を中症、30以上を重症としている。

 

閉塞性睡眠時無呼吸症候群の標準治療は、CPAPと呼ばれる呼吸装置を寝ているときにつけることだ。CPAPは気圧よりわずかに高い空気を送り込むことで気道の落ち込みを防ぐ。

 

大学の先輩で閉塞性睡眠時無呼吸症候群だと診断されCPAPをつけた人がいる。その人は「人生が変わった、無限の力が湧いてくる」と言っていた。慢性的な睡眠不足に悩まされている患者にとってはまさに奇跡のような治療である。

 

睡眠医学の黎明期から2000年に至るまでを書いたこの本を読んで、やはり睡眠は面白いと感じた。

アドバイスをもらっても能力を否定されたショックで何も耳に入らなくなる

アドバイスを否定として受け止める心の働きって成長に邪魔じゃない?「仕事」に対する評価であって、人格否定、能力否定、ましてや攻撃なんかじゃないって思えた方が能力を上げるための努力につながりそうなのに。

「ここをもう少しこうした方がいいよ」と言ってくれたときの感じ方には二パターンある。 「こんなこともできなかった自分は無能なんじゃないか」と瞬時に頭に浮かぶネガティブ人間と、 「なるほど。そこを変えるともっと良くなるんだな」と思える素直なポジティブ人間。

進化的にもポジティブ個体の方が有利に見えるけれど、個人的にネガティブ個体の方が多い気がする。だってアドバイスもらって心から嬉しそうな人間ってそんなに見たことがない。ネガティブ人間がこの日本にたくさん生き残っているのって、他人からのアドバイスを素直に受け止めない個体の方が子供を残しやすかったのかな? 

アドバイスをもらうたびに「自分って無能なのかな」って落ち込む時間が無駄すぎるので辞めたいとは思う。けれども何回自分に言い聞かせても落ち込んでしまう。

具体的には中学受験塾でバイトをしているとき、常勤の先生に私の授業に対するアドバイスをもらうたびに落ち込む。アドバイスをいただくのは嬉しいし、改善しようとは思うけれど、「やっぱり私の話はわかりにくい。無能だ。」って数時間悲しくなる。

【学生実習】消化器内科は臓器も疾患も幅広い

消化器内科

学生実習で消化器内科を1ヶ月見学した。

外来見学で一通り診察しろと言われ、自分なりの診察(笑)をしたところ、まったくなってないと怒られた。

オスキー(実技試験)前の腹部診察の講義に出ていないので正確な診察方法を知らなかったというのは言い訳にならない。友人と一緒に練習をして、診察しているポーズを覚えた。たとえば、打診のときは、左手の中指を右手の中指で叩くポーズをとることを覚える。音が鳴るかどうかは試験では重要じゃない。オスキーの結果を見直すと腹部診察は90点だった。試験に問題があるのでは?と一瞬思ったが私が悪いのは知っている。

学生時代に診察を体験させてもらえたのはいい経験だと父(整形外科医)に言われた。父はよく最近の医者は身体診察をしないやつが多いと怒っている。

「末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる」という漫画で、お腹の不調を感じて大病院でCTを撮られたものの何も見つからずそのまま帰され、別の個人医院の触診で腫瘤が発見されたというエピソードがあった。その個人病院の院長は元大病院の外科部長らしく、ゴッドハンドじゃん!と感動したのだが、母(内科医)は触知できる腫瘤を見逃しちゃダメでしょと言っていた。そういうものなのか。

https://twitter.com/daicho_polaris/status/1286219581275557888?s=20

診察をとらないと見逃す病気が存在する、最近の医者は患者に触ろうとしない、と誰かが言っているのを聞くことがある。内科の授業で鑑別診断(この病気はなんでしょう?)をしているときに、先生に「まず何を聞いてどんな身体所見をとりますか?」と問われたものの、早く検査値を見せてくれよと急ぐような気持ちになったのを覚えている。

先生によると、検査をするにも病歴聴取と身体診察で絞ってから適切な検査をオーダーすることが大切だそうだ。知らなかった。初期研修は診察、鑑別診断を丁寧に教えてくれるところに行きたいなとぼやっと感じる。

消化器内科は外科と内科の間のような診療科だといろんな消化器内科の先生から聞いた。手技と内科的診療のバランスが偏りすぎないらしい。ある若い男の先生に消化器内科に決めた理由を尋ねたところ、ザ内科的な頭でっかちすぎる感じでもなく、救急みたいに怒号が飛ぶ感じでもないところがよかったらしい。頭を使うのと手を動かすの両方できるところがよくて、内視鏡カメラを握ったときに向いているかもしれないと思ったのが決め手だったと。

その先生は結局、消化器内科の中でも内科よりの炎症性腸疾患を専門に選んだ。 そういう風に消化器内科に決めた後でも、外科よりのところ(内視鏡)に行く人もいれば、炎症性腸疾患のような内科的よりな消化器内科を選ぶ人もいる。肝胆膵、消化器という軸もあれば、炎症か癌かという軸もある。さらに炎症とがんは別の疾患のように見えても、炎症(胃炎、肝炎、炎症性腸疾患)が癌につながるから癌予防という面白さもあるらしい。

消化器内科は標的臓器が多く、いろんな意味で器の広い科だった。

消化器内科の先生も器が広いというか、いい意味できっちりしすぎていない人が多かった。楽しそうだけど根は真面目な人が多いなと感じ、好感をもてた。一緒に働いたら楽しそうだと思ったなどというと上から目線すぎるかな。

個人的に、消化器内科の先生は大好きだったけれども、もう少し内科的診療が多い方が楽しいかもしれないと感じている。「内視鏡ができるとバイトで稼げる」のは魅力的だが、その分内科の魅力が減ってしまうのが悲しい。

受け持った患者さんが大腸癌の人だったためがん治療についてやたらと調べた。ちなみに患者さんとはコロナのため会えていない。この時期の学生は、基本もなっていないのに受け持ち患者さんの疾患にだけ詳しくなる。がん治療は新しいものがたくさん出てきて面白いなと思った。

大腸癌の治療は5種類くらいあり、それぞれ3次治療までびっしりある。肝臓がん治療の講義で第一選択薬が免疫チェックポイント阻害剤+分子標的薬に置き換えられたと知り、新しい治療がたくさん出てくる病気は治療法があんまり変わらない病気より楽しそうだと思った。

ただ(よく知らないけれど)、がん治療は厳格にガイドラインに従うようだ。ある程度大きい病院で誰が治療してもほとんど同じ治療が選択されるのではないだろうか。どの病院でも現時点でベストの病気が受けられるというのは、がんのような致命的な病気ではとてもいいことだ、と思う。

けれども、もう少し治療の幅があるような病気を面白いと感じる人もいるのかもしれない、そして私はそのタイプかもしれない、とうっすら思った。

あっちかなこっちかなと、自分に向いている向いていないを探しながら、どこの診療科が好きか探っていくのだろうか。消化器内科の先生は好きだけれど、診療内容はもう少し内科よりの方が好きかもしれない、と思っていたときに、大学の部活選びで似たようなことを考えたことを思い出した。

この部活の人は好きだが競技自体はあっちの部活の方が魅力的だとか。部活は間違えても6年我慢すればいいけれど、診療科は30年くらい続くじゃないか。もしずっと働き続けるとしたらそうなるけれど、そんな遠い未来のこと今から考えるなんて無理だ。